【パフォーミング・ライブラリー】第5回 ワークショップ≪出石そば店発展の歴史をさぐる~そば庄の一次資料から~≫が開催されました!
4月15日(土)に今年度最初のパフォーミング・ライブラリーが開催されました!
ワークショップに参加した学術情報館スタッフが、当日の模様をお届けします!!
今回の題材は初の試み「食」です。
その名も≪出石そば店発展の歴史をさぐる~そば庄の一次資料から~≫
但馬名物である「出石そば」を取り上げて、但馬の魅力に迫ります!
講師は出石にある老舗店「そば庄」3代目 川原一郎氏にお越しいただきました。
[前編]は、学術情報館内でお話をお聞きしました。
「出石そば店発展の歴史をさぐる~そば庄の一次資料から~」として、戦後から現在に至るまでの出石そばの現代史を、大学ならではの視点(中小企業論、事業創造、事業承継)を用いて探りました。
まず、出石そばがどのような経緯で今のスタイルに至ったのか、そば庄さんの昭和42年当時の貴重な帳簿を見ながら、そして実際に聞いた話を基にして紐解いていきます。
【卵】だしの濃さの調整や、そばのつなぎで使用されていた。
【とろろ】つきだしやそばのつなぎで、材料の一つとして使われていた(諸説あり)。
【そばちょこ】だしを直接そばにかけて食べていた。
【小皿】なぜ5皿なのか、そして一人前は何皿なのか。それは、物産展に出品する際に結局一人前は何皿なのかという疑問から、実際に計量して、結果5皿が量も見栄えもちょうど良いとなったとのこと。
など興味深い話をたくさん聞くことができました。
次に、そば庄さんの「物語」を当時の帳簿を基にお話を伺いました。
【そば屋なのにうどんを出していた】
当時の帳簿から、夏にうどんを売り出していたことがわかりました。その理由として、夏はそばに適した季節ではないそうです。当時の製粉技術があまりよくなく、そばがあまりおいしくなく、そのためうどんを売り出していたそうです。このことから当時のそば屋さんは、観光ではなく地元密着型だということが分かりました。
【そば粉は北海道産】
昔は、地元で原料が取れる時期限定での営業だったが、観光名物にすることに伴い通年営業へと営業スタイルが変化したそうです。そのため、地元でとれる原料だけでは足らないため、北海道などから取り寄せているそうです。もちろん但馬原産のそばも売り出しているとのことです。
最後に、出石そばの発展についてのお話です。
出石そばブランドの維持のため、「出石そば」「出石皿そば」は地域団体商標登録されています。
また後継者排出のため、「出石蕎学館」を設立されました。これは、本格的にそば職人を育成、そして経営が勉強できる学校です。なんとこの学校で、専門職大学の学生2名が学んだそうです。
この回を通して「出石そば」の歴史に触れることができ、とても充実した時間を過ごすことができました。
[後編]は、「そば打ちパフォーマンスを見て、出石そばを知る」として、そば庄3代目であり、プロのそば職人育成塾である出石蕎学館を運営する川原一郎氏に、そば打ちのパフォーマンスを披露していただきました。
実演では蕎麦の良い香りが...!
そば打ちはリズムが大切とのことで、とても心地よいリズムでそばが出来上がっていきました。
また、出石蕎学館インターン生である本学の学生2名もそば打ちを披露しました
たくさんの参加者が見つめる中、緊張している様子でしたが、確かな腕前と堂々としたパフォーマンスを見せてくれました。